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パプアニューギニアに関することならなんでも、いろいろな話題をアップしていきます。
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海も山も大自然がありのまま、パプアニューギニアにすんでいました。パプアの心意気を忘れないよう、何でも記していきます。
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パプアニューギニアと言うと、海がきれいそうだね、と多くの人は言う。
 
でも、ゴロカという高地に住んでいたボクにとってパプアと言えば山なのだ。

 
2000m級の険しい山々のせいで外界との接触がなく時間だけが経過した場所。
緑豊かに遠くに連なる山々、わらぶき屋根の家の横で弓矢を持った裸足の村人と眺める空は果てしなく広い。
 
山こそが本当のパプアなのでは、とも思う。
 
しかし、そんな山に生活する部族に会うのはそう簡単なことではない。
車の通れる道がないからだ。
ある町から徒歩で2日なんてこともざらなのだ。

meakanbut_02.jpg
 
今月のナショナルジオグラフィックに登場する民「メアカンブット」の人々も例外ではない。
高地に行くだけでも大変なのに、彼らに会うのはもう至難のわざと言える。
それは彼らが移動生活を送っており、どこにいるか特定できないからだという。
 
彼らは洞窟に住んでいる
会うための手がかりはそれだけだ。

meakanbut_01.jpg
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0 - 3で負けてしまいました。。
PRKヘカリ・ユナイテッド。


意外にも前半は押していて、ゴールポスト直撃ヘッドなど惜しいシーンもありました。

が、、全体的に力まかせで行き当たりばったりな感は否めず、アル・ワハダに見事なシュートを決められてからはほとんどいいところなし。


でも彼らはすごいものを全世界にアピールしました。
試合直前のアンセムの時に、、彼らが首に掛けていたもの、、そうビルム!!

でも、なんでビルム?!

2010518102629_2.jpg
- ビルム。いわゆる、バッグです。

2010518102629_3.jpg
- 子供もいれちゃいます。

彼らの誇りであり、みんながもってるソウルグッズ。

世界であれに気づいた人はほんの一握りかもしれない、でも少なくともあの映像をパプア人が見ていたら、大喜びのはず。特に子供達は大はしゃぎだったはず。ウーーウェーーーイ♪

もしかして、、ビルムを掛けた自分たち、思いきりプレーする自分たちをパプアの子供達に見せることが彼らの目標だったのかもしれない。


正直完敗でした。
でも、パプアにサッカーブームが来るのはそう遠くないはずです。

sportsaii_216.jpg
- 来年は日本開催だから、絶対また来てねー!
さて、今話題のPRKヘカリ・ユナイテッド!

やはりボクとしてはパプアニューギニアの選手に注目せずにはいられません。

というわけでご紹介しましょう。
まずはこの人、FWのケマ・ジャック!

hekari.jpg
ケマ・ジャック(Kema Jack)


オセアニアチャンピオンズリーグの決勝戦、ワイタケレとの試合ではホーム&アウェイ合わせて3点も奪った点取り屋。彼なくしてクラブワールドカップへの参加はあり得ませんでした。

パプアニューギニアリーグではなんとゴールデンブーツ賞3回!
ケマなくしてヘカリなし、ケマがこれからのパプアのサッカー界の舵を握っていると言っても過言ではないでしょう。

そんなケマも出身は首都ポートモレスビーから100kmほど離れた小さな漁村カパロコ村。
電気が通っているはずもなく、村人が彼の勇姿を感じることができるのは唯一ラジオのみ。


でも彼は言います。

「村の子供達はいつでも私を見ていてくれる。」

「私はただのカパロコ村の少年さ。でもこの村の出身としてワールドカップに出ることができる。それが本当に誇りなんだ。」


ケマ、その名を世界に刻んでくれ!


大きな地図で見る
- カパロコ(Kaparoko)村はこんなところ。
な、なんと!!
パプアニューギニアのクラブチームがFIFAクラブワールドカップに登場します!!

その名も「PRKヘカリ・ユナイテッド」!
首都ポートモレスビーのチームのようです。

PRKとはPetroleum Resources Kutubuの略でパプアで2番目に大きい湖「クツブ湖」にある石油会社です。
ポートモレスビーからは遠く離れた南ハイランド州にある伝説の湖「クツブ湖」。
その湖の近くで石油が見つかりここ数年で油田開発が急速に進んでいます。
一般的な会社ではなく、恐らくクツブ湖周辺のLand Owner同士が争いをなくし利益を公平にわけるためにつくった会社だと思われますが、どちらにしてもチームの運営という意味では安心できそうです。

いろいろと謎が多いヘカリですが、、
夫婦でコーチをやっている?のか、以下でkapi-natto夫妻が登場しています。



夫婦で監督?やってるのであれば、、こ、これはほんとにおもしろかっこいいぜっ!

さて、それは当日のお楽しみとして、、映像の最後で選手達が来ているユニフォームに注目してください!

胸には「WANTOKS(パプアの言葉で友達、仲間、家族)」!
WANTOKという言葉はパプアで最高にメジャーでクールな言葉なんです!
そういうパプアっぽいのとても大事!

さぁ、WANTOKパワーで世界を驚かせてくれ!!

日本時間で12/8(水)24:40から日テレ系列で放送します!
あぁ、超楽しみだ〜。
東武宇都宮駅のすぐ脇。
路地に入るとすぐに、白い壁のすえひろ食堂はありました。


IMG_2641_500.jpg
- 小さいけど人目を引く外観。

 
チヨさんは禰宜さんから話を聞いていたらしく、ボクの訪問をとても喜んでくれました。
 
「ソマレが日本に来た時わたしも呼ばれてね〜、ハッハッハ」
 
––––––––––––––
第二次世界大戦中、かつて地獄と言われたパプアニューギニア。15万人の兵士のそのほとんどが、餓死。クモすら食べねばならない、米軍、豪軍よりも恐ろしい餓えとの戦い。
 
そんな悲惨極まりない戦場下で、「宣撫」という現地人に戦争の目的を伝え、人心を落ち着かせ治安維持活動をする任務にあたる兵士がいました。
チヨさんの夫、柴田幸雄中尉(船舶工兵第九聯隊、故人)もそのひとりでした。
 
柴田中尉はセピック川付近のある村に住みながら、明日には自分が死んでしまうかもしれない状況の中、日本の戦争の目的を村人たちに伝え、パプア人自らが国を興して独立できるよう、真の教育を行ったのです。
 
かつてのその村の生徒はこう言います。
「私たちは学校というものを見たこともなければ聞いたこともなかった。そこで何をするのか?勉強とはどんなことなのか?まったくわからなかった。」
 
当時8歳だったその学校の生徒は、首都ポートモレスビーの高校に進学し後に教師となり、さらに1970年代のパプアニューギニアの独立運動に参加後、国の代表にまで上り詰めました。
パプアニューギニア初代首相マイケル・ソマレはその学校の生徒だったのです。
戦争が終わって数十年経っても、柴田中尉の教えは脈々と流れ続けていたのです。
 
マイケル・ソマレが首相になって初めての海外渡航、それは日本でした。
柴田中尉に会うために。独立の教えを説いてくれた、そして何より勉強が何かを教えてくれた恩師に会うために。
 
そして遂に、大使館を通じてソマレ少年とキャプテン・シバタは奇跡的な再会を果たしました。
––––––––––––––
 
「セピックの村の学校に行った時、ソマレも駆けつけてくれてねぇ〜」
「村の子がわたしみたいな年寄り見ると喜んでねぇ〜、持ち上げるの!ハーハッハ」
 
 
この記事を書いていて気づいたことがあります。
パプア人が日本人のことを大好きなのは、日本政府が橋やラジオ塔などの無償支援をするからだと思っていました。
でもそれは微々たること。
原点はマイケル・ソマレと柴田中尉との関係にあるのではないでしょうか。
ごく個人的、でもとっても深いふたりの友情が、今や国と国との友好関係になっている、そう感じずにはいられません。
 

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- すてきな笑顔で迎えてくれました。

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- 所狭しと並ぶパプアグッズ。奥写真がマイケル・ソマレ首相

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- シバタ学校の写真を見せてくれました。
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