栃木縣護国神社の境内に踏み入ると、誰もおらず静か。
参道を進み第二の鳥居をすぎると、大量の石が敷き詰められた大きな広場が。
その先に、広場の全ての石を受け止めるかのように、本殿ががっちりと構えていました。
遊びなしで直球勝負。
そんな硬派な神社をまざまざと感じたボクは、パプアのノリでは罰があたると、日本の軍人さんよろしく背筋と手足を一直線に伸ばして歩くのでした。
そして、脇見をせずとにかくまじめに本殿へまっしぐら。
のつもりが、左脇に広がる森からただならぬ雰囲気が。。
導かれるようにそこへ向かうと、そこには多くの慰霊塔が並んでいました。
まさに、ニューギニア戦線へ向かい命を落とした方たちのしるしがそこにあったのです。
食べ物も豊富、素晴らしい大自然と雄大な景色、住人も陽気で日本人が大好き、そんなパプアニューギニアしか知らないボクにとって、地獄よりも恐ろしいと言われた「ニューギニア」は想像できませんが、そんな時代が確かにあったのだと、まるで主張しているようでした。
- 大量の石の奥に硬派な本殿が。
- 遺骨収集時にパプアから持ち帰った霊石も。
- 一番奥には忠霊塔がありました。
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